和服・洋服 染み抜き・洗い張り・悉皆業務 専門店 ひな屋は、業者さんでできなかったしみ抜きの再修復を専門とする職人の店です。

染み抜き しみ抜き シミ抜き 浸み抜き Stain Removal 歴史

シミ抜きの歴史
 日本における営業的な洗濯業としては室町時代(1338年~1573年)に京都で紺染屋を営む職人が副業として洗い張りを行ったものが最初とされています。
これが専業となったのは江戸時代の中期,元禄から享保(1686年~1736年)にかけてであり,京都では紺染屋から分離した「洗い物屋」,江戸では「洗濯屋」でした。
 この京都における洗い物屋が絹物,麻物などの高級品を主として取扱い,高度なシミ抜き技術を発達させ,やがて同業組合を作って収益を守るようになってゆきました。
 シミ抜き剤としては鷺の糞,大根の汁,洗剤としてはわら灰の灰汁,米のとぎ汁,ムクロジの果実,サイカチのさやなどを使い,仕上げはひめ糊を使っての張り仕上げを行っていました。
 明治時代になると洗い張りとクリーニングを兼業した業者が数多く出現してきます。
 しかし,京都などで長年の修業を積んだ通称「シミ抜き屋」と呼ばれる職人の数は少なかった。彼等は主として呉服や京染めなどの取り次ぎを業とする悉皆屋を相手に和服や京染め反物などのシミ抜きを専門としクリーニング店からも時々仕事を持ち込まれて業をなしています。現在はいろいろな技術が公開され、機械や高性能な洗剤、特殊しみ抜き剤、酵素などが開発され、より高度なシミ抜きができるようになってきています。しかし、それを使うのも、素材の見分け、科学的な材料の性質など、知り尽くし、経験と技術とセンスをみがかないと、本当のしみ抜きはできないものです。たかがシミ、されどシミです。

 

 

2016年01月26日 17:05
このページを印刷 染み抜き総論一覧に戻る
Track?key=spot2520&name=article