ウールのきものが生まれてから、日本のきものの感覚ががらりと変わりました。非活動的、手入れがめんどうというきものの弱点のうち、後者だけは完全に解消しました。
ウールのきものによって、帯、下着などの考え方、色のとり合わせ方にも洋服の感覚がずいぶんはいってきて、和服全体の考え方を変えたほどです。しかし、 時代の流れと共に化学繊維が発達して、最近ではウールというよりもポリエステル生地が多いいようです。
ウールがまだこれほどでなかったときの毛織物に、セルがあった。セルはごく上質の梳毛糸(ソモウシ)を使い、柄も縞(シマ)絣(カスリ)などのすっきりしたものが多かった。
同じ素材を使ったものながら、ウールのきものの進出により、セルはすっかり姿を消してしまった。
戦後、一時毛織物の暴落したときがあって、そのころ婦人服向きに織られたウール地は、混乱した経済事情の中で、非常な安価になってしまった。
頭のよい消費者が、この安いウール地を使って、広幅のぬい目の少ないきものを考えた。これがウールのきものの流行のきっかけとなり、業者もそれに目をつけて、はじめからきもの用のウール布地を織るようになった。
はじめは桐生、伊勢崎など関東周辺の機業地で作られたが、次いで西陣のお召しメーカーが、たまたま絹糸の暴騰もあってウールを織りはじめた。わずか十年たらずの間に各機業地で盛んに作られるようになったのである。
現在のウール着尺は、伊勢崎はめいせんの技術をウールに生かして、モダンな板締めがすり(村山大島の手法と同じ)を作り、西陣ウールは精巧な紋織りで知 られる。八王子は比較的安い価格で交織ウールを作り、秩父、館林、十日町などでも、それぞれ特徴のあるものを生産している。名古屋付近では、地厚な紡毛地 で、ひとえ仕立ての丹前地が作られた。
■特徴・種類
ウールのきものは、夏を除いたスリーシーズンに着られる、仕立ては裏をつけないでミシンのひとえ仕立て、あたたかく、よごれたら解かないでクリーニング できる、しわにならない、など便利で経済的な面が、若い奥さんたちのふだん着にピッタリであった。
ウール布地の欠点(重い、ぬい目がへばる)も、年ごとに改良され、ふだん着、街着、ちょっとした訪問などにまで、広い範囲に着られるようになった。ジャ カードマシンによって、いままでになかった紋織りも作られるようになった。紋織りになると、ウールばかりでは織れない。紋柄を織るには絹糸を使って紋をお さえる。つまりシルクウールというわけだが、こうなるとお召しの風合いに近くなる。
そのほか、オールウール、絹との交織でポーラ(初夏、初秋用)があり、ウールだけでごく薄手に織ったモスリン地、ウールクレープもある。これらは染め布地としても使われている。
和服用ウール地は小幅物が多いが、三反ものの広幅で織機にかけ、布耳を入れて織ってから裁断する方法のものが多い。 和服向き柄でダプル幅に織り 2.2mを一着分としているのもある。しかし、時代の流れから普段にウールを着用する人も少なくなり、最近ではあまり作られなくなっている。
【しょうざんウールについて】 最初にウールの帯を手がけ、次に宇野千代女史のアドバイスによってきもの地を試みた。これは短繊維の処理のせいもあって、地厚でまだ完全とはいえなかっ たが、昭和三十年ごろに、モヘヤに絹二本を合わせた強撚糸でポーラを織り、サラリとしたよい地風のも打が生まれた。 現在のウール着尺は、目方が裏づきの絹長着よりわずかに重い程度で、ウールにテトロンの交織がほとんど。テトロンの糸よりに特殊な技術があり、品質表示 標に、「からみ糸テトロン」と表示してある。ウールのけばを毛焼きし、テトロンでおさえて、ウールの短繊維としての弱さを、摩擦に強いテトロンで補ってい るのが特徴。 これからのウール着尺は、いままでお召しが着られた席に着られるような、高級なおしゃれ着の方向にと、紋織りの模様の部分に絹を使って、あとは地組織の 中でウールにまじって底光りのする色つやを出す、そんなくふうもしている。模様も小紋調、友禅調、ろうけつ調など、多種多様のものをとり入れてゆきたいと 思っている。値段も一万円前後という手ごろな線でゆきたい。 「男子物」 柄で変化がつけられないので、原糸のうちに色染めをし、その各色をとり合わせて糸をつむぎ、その糸をよこにして、たて糸を黒、紺、茶などの一色で合わせ て、深みのある色合いの布地を織る。オールウールのものが多い。 「紋織物に必要な紋図・紋紙」 図案がきまったら、こまかい方眼紙の上に一目ずつ色分けし「書き直し、実物の四倍大ほどに引きのばす。これが紋図。織るときには、方眼紙の目の一こまが、たて糸、よこ糸の一本ずつにあたる。 紋祇は33~36cmに4.5cmのたんざく形の厚紙で、紋図に合わせて小さな穴があけられる。紋織り機(ジャカード機)のたて糸の上下運動をきめるた めのもので、よこ糸一本に一枚ずついるので、複雑な模様になると何方枚も必要になる。そのほか糸染め、製経など、一反のきもの地を織り上げるには、たいへ んな人の手がかかっているのです。 (株式会社しょうざんの話) (注)昭和39年頃の話 |
化学繊維の発達はめざましく、織物の生産量(63年度)は主要繊維総生産量の41.3パーセントを占め、さらに着尺地は15.8パーセントになっていま す。その比率は年ごとに上昇しており、質も今後ますます改良され、新製品も作り出されることと思われます。
■特 長
化学繊維は総じて軽く、引っぱりに強く、しわになりにくい。天然繊維にくらべて吸湿性が低い。これは、はだ着には不向きであるが、反面よごれが落ちやすく、かわきが早いということにもなる。
価格が絹より安く、じょうぶな点でふだん着に好つごうであるとともに、手ざわり、光沢が絹に似ているから、ちりめん、お召し、りんずなどの地風をもった 訪問着、帯などに、100パーセント化繊や、交織として広く使用できる。絹との交織は、絹の弱さを補い、価を安くするうえにも役だつ。
繊維によっては熱に弱いものもあるので、とり扱いに注意すること。
数年前までは、繊維によっては染色に難点のあるものがあったが、最近はその点もほとんど改良され、色も正絹友禅などにくらべて遜色がなく、染めのじょうぶな点はかえってよい。
■種類
最近は大手のメーカーが化繊着尺地に力を入れ、一種だけでなく、絹、もめん、毛、または各種化繊をとり合わせ、その配分と糸の処理で、多種多様な地風の布地を作り上げ、織り元によってその商品名もちがっている
●アセテー卜(半合成繊維)を主にしたもの |
テイジンアセテート(美よし小紋、セシール小紋など)、ミナロンアセテート(テミナー小紋など)、その他カネボウ小紋など。染色がきれいなので、訪問着、小紋着尺地、裏地が多い。 |
●ナイロン(合成繊維) |
東レナイロン(いたりあお召し)、ニチレナイロン、旭化成ナイロン、カネボウナイロン、クレハナイロンなど。他の繊維と交織されている場合が多い。 |
●アクリル |
カネカロン、エクスラン、カシミロンなど。和服地としては少なく、和装用下着、コート地などの交織に用いられる。 |
●ポリエステル |
テイジンテトロン、東レテトロン(どちらも、お召し、またはつむぎ風な着尺地、雨コート地などに多い)。 夏物として、ポリエステル100パーセントのテトロン絽綿、テトロン紗、麻との混紡で上布の感じに仕上げたニュートロン、テアトロンなどがある。 |
●レーヨン、キュプラ |
裏地、すそまわしとして多く用いられるほか、糸として交織に多く用いられる。ポリノジックとしてハイポラン着尺地がある。 |
扱い方 |
反物のうちに、品質表示のラベルに注意して、おぼえておくと、あとでの扱いにこまらない。最近はとくに、布地の地合いだけでは、性質がわからないことが多いので。 ひとえはもちろん、あわせでも表、裏、糸とも100パーセント合成繊維が使用してあれば、仕立て方によっては、まる洗いができる。化学繊維は一般に耐熱性が低いので、仕上げのときのアイロンの温度に注意する。 絹と交織した布地は、なるべくドライクリーニングに出したほうが安心。 (日本化学繊維協会) |
何かの動作で、キュッと絹鳴りの音が聞こえる博多は、音までも楽しめる帯です。夏の街着のひとえ帯 として代表的なものですが、近ごろは紋織りで秋冬物も作られています。しま柄が本来のもので、とくに献上は流行を超越した世界的な柄です。フランスの有名 デザイナーは、博多献上の丸帯をドレスに仕立てて好評を博したほど。
■歴史
献上とは、慶長五年、黒田長政が領主として、博多織りを幕府に献上したところからこの名が生まれた。この献上の博多帯は、独鈷(どっこ)柄の男帯で、紫、 黄、紺、赤、青の五色であった。独鈷は、罪悪邪鬼を打ち砕く法具である。伝説としては、浦田弥三右衛門が聖一国師に教わった図案だとされている。のちその 子孫が宋に渡り、さらに織物を研究し、博多に帰国後、広東織りからのヒントをもととして在来の博多織りを改良くふうし、今日の博多帯の地風を作り上げた。
■特長
市販の博多帯には、外見同じようでありながら、価格のちがうのがある。これは手ばたと動力ばたの相違であって、いうまでもなく手織りのものが高価なわけ である。手織りの場合、筬を強く三回打ちこむ。これを博多の三度打ちといって、しっかりした地風を作るためのわざである。
一般の博多帯は糸染めの際に五倍子を使う。五倍子はキブシともいい、インキの材料や昔のおはぐろに使ったもの。この中にタンニンがふくまれており、糸染めに使用すると色に深みが加わり、織り地に重量感が出る。
錦地といわれる高級帯地の、ほとんど全部が京都西陣で生産され、西陣帯地の名で呼ばれます。
桐生でも作られますが、西陣にくらべて、交織物が多く、動力織機を使って、大衆向きの帯が織られています。
京都西陣で織られる、草花、鳥獣などの紋様をさまざまな色糸で浮き織り し、金銀糸をあしらった豪華なもの。裏を返すと、紋織りの糸が横に通っている。研究家、川島織物の太田氏の説によると、「生経(なまだて)の上に五彩の練 緯(ねりよこ)で旋律ある強い織り錦で、その美しさのために唐織りと呼んだ」とある。
花嫁用の丸帯、袋帯、名古屋帯地などの高級帯地、能衣装などに用いられている。口絵1ページの蜀紅錦袋帯もこの一種である。
生経とは生糸のセリシン(にかわ分)をとり去らぬままのたて糸。練緯は糸をねってつやを出したよこ糸のこと。
錦織りの一種で、唐織りほどの厚みはないが、色糸、金銀糸を用いた多彩な紋織物。丸帯、袋帯、名古屋帯地、高級子ども用祝い帯に。
よこ糸を金糸、または銀糸だけで織った紋織物。箔を使用して織るが、竹べらを使って箔糸一本一本を裏が返らぬように織りこむ技術は、西陣独特のものである。うちかけ、丸帯、袋帯などに。
古くエジプトのコプト(麻糸によるつづれ織り)に、その原型を見ることができる。この技法が欧州ではゴブラン織りとなり、中周大陸においては、つつれ織りに発展した。日本には仏教とともに大陸から渡来したものと思われ、奈良の当麻寺の中将姫のまんだらは有名である。
江戸末期にいたり、西陣織り元の林某がこの織り方を復興し、改良を加えて今日のもとを作った。明治中期、川島甚兵衛氏は数回の渡欧でフランスのゴプラン 織りを研究し、つづれ織りを帯のほかに屋内装飾にまで応用するように考案した。
■つづれ織りの特長
精巧な糸使い、織り上がりは地厚、その豪華さは糸の芸術品というよりほかはない。
ふつう、たて糸は3.3cmに40~60本をかぞえるが、よこ糸はその幅の倍の長さの糸をくりこんで織る。織りこむときに、のこぎりの歯のようにけずっ た爪先(つめさき)でよこ糸をつめてゆくので、たて糸はほとんどかくれるように織り上がる。
たて糸の下に図案をおき、その図案に色糸を合わせながらよこ糸の杼(ひ)を返すので、織り上がった模様の、よこ糸の間にハツリ孔(め)と呼ばれる織り目の間隙ができる。機械つづれには、そのすきまはできない。
紋織りの帯地は、布幅いっばいによこ糸が通って、それが地組織になり、その上に模様になるよこ糸が織り重なるのがふつうだが、つづれにはそれがなく、各色の厚みが平均になる。これも特長の一つ。
つづれ織りに使われる糸は、たて、よこともこまよりになった太めの糸。
織り方としては、単純な平組織なのだが、その密度が緻密であり、原始的な、とさえいえる織り方なので、なれた人でも一日9cmほどしか織れないという。
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繻珍(しゅちん) |
しゅす織りの地に模様を織り出した紋織物の一種であるが、最近の帯には少なくなった。 |
ななこ織り |
斜子とも魚子とも書き、目のつんだ、たて、よこの糸が同一に表に出る平織りで、袋名古屋帯などの地の部分に用いられる。 |
絽つづれ |
絽織りの地に、模様の部分がつづれ織りになったもの。夏帯地。 |
紗織り |
紗のからみ織りの方法で織られた夏帯地。写真は、紋織りで模様をあらわしたもの。 |
佐賀錦 |
いままでは袋物のように小さなものしかできなかったが、箔糸の弱さを絹糸で補って、特別に袋帯が作られている。 |
化繊、合繊の帯地 |
正絹帯地の高価なのに対して、もっと手軽に織りの帯が楽しめるねらいから、交織、化繊、合繊などの帯地が作られ、最近非常に愛好されています。 オールレーヨン、レーヨンと絹の交織袋帯。ナイロン、ポリエステルを主にし、レーヨン、綿または絹などを交織にした袋名古屋帯。ポリエステルに綿か麻と レーヨンを交織にしたひとえ帯など。どれも図柄に新しさがあり、糸使いなどによい風合いを出すくふうもあって、よい品ができている。値段も三千円、~一万 円まで。 |
染め帯地 |
塩瀬、羽二重、鬼しぼちりめん、古代ちりめんや、趣味的にはつむぎ、もめん地などがある。手がき染め、型染め、しぼり染めなどの手法によるか、ししゅうを加えたりして名古屋帯に。 また、片面にしゅすを合わせて腹合わせ帯に仕立てる。 |
男子用帯地 |
まず角帯であるが、一般的なものは博多織りであり、独鈷、無地、しまなどがある。そのほか西陣帯地の紋織りや打ちひもによるもの、つづれ織りなどがある。 軽装帯は、前に薄くしんを入れ、結び目がへこ帯と同じで、へこ帯の一種である。 |